パパのこと

私たち家族にとって
「癌」というwordが
とてつもなく身近なものになったのは
今から9年ほど前の事でした。

まだ三男が生まれたばかりで
背中におんぶしながら、
授乳や長男の入園
次男のオムツ卒業に追われていた頃。

パパの経過を
記すべきか悩みました。

でもいつか
「そういえば、聞いたことある!」と、
誰かの早期発見に繋がったり
命を救える事があるかもしれない。

この記録が「恐怖」ではなく
誰かの「勇気」になることを願いつつ…
記していきたいと思います。


当時、パパの診断は「スキルス胃癌」
胃と脾臓を全摘出する大手術だった。

病理の結果、
58個全て摘出したリンパからも
奇跡的に転移は見つからず
よって抗がん剤治療は回避でき、
術後から7年半が過ぎようとしていた。

スキルス胃癌の中でも
パパのケースは印環細胞癌に該当し
その症例通り「腹膜播腫」として
2年前に再発…

しかしながら、CTでもPET CTでも
どんな検査をしても病巣が掴めず
抗がん剤リスクより免疫療法を採った。

腹膜播腫の場合、
見つかった時点でstage4となる。
種を撒くように拡がり
点在するこのタイプの癌は
察する通り、治療も困難を極める。

その後、本当に体力は安定、元気!
フルマラソン完走までも果たし
日々トレーニングに打ち込む毎日。

ところが先日、
トレーニング中に痛みが走った。

大阪へ単身赴任中でもあり、
近くの整形外科へいきレントゲン。
怪しい所見がありMRIへと繋がる。

画像診断を主治医の先生へ急きょ依頼し、
本人も横浜へ帰宅。
私も病院へ同行して、見解を伺う。

主治医の先生から告げられたのは
「骨髄癌腫症」
云わば、骨髄に転移が見つかった。

このまま何もしなければ
余命2ヶ月と宣告を受けた。

さぁ、どうするかね。
でも不思議とパパも私も冷静だった。
やるしかない!と、
腹を括っていたからだろう。

これまでも度々余命宣告を受けてきた。

その度に私はこっそり大泣きしながら
子供たちの寝顔を見て祈るしかなかった。
でも、答えは出てる。
やるっきゃないんだ。

できることを、できるときに、
どうせやるなら、一生懸命に!

来週からパパ入院。
そのため体の痛みをこらえなから
赴任先の自宅を引き払うため大阪へ。

泣いてる暇はない。
現在 CEA(腫瘍マーカー)8,000超!

さぁ、がんばるよ!
ビリギャルに負けないストーリー
パパ、生還して本でも書きなさい!(笑)

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